昭和初期の日本のカレーライスは洋食の一つとして普及しはじめていましたが、それはイギリス経由で渡ってきた小麦粉を使った欧風料理。本場インドのカリーとは程遠いものでした。
「カラい、アマい、スッパい、味みなあって調和のとれたもの一番いい。舌ざわりカラくなくて、食べたあとカラ味の舌に沸いてくるものでなくてはダメねエ。」
これはインド人、ラス・ビハリ・ボースの嘆きです。
ボースは多くの日本人が抱く祖国インドの食文化に対する誤解を解き、本場の味を伝えようと、開設を検討していた喫茶部でインドカリーを出すことを提案します。
こうして昭和2年に開設された喫茶部のメニューに、純印度式カリーという商品名が並ぶことになりました。
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